研究成果

麺:なぜすぐに炒めず、焦げる寸前のパリパリまで焼き上げるのか?

日田の祭り 大分県日田市は、盆地という地形から、高温多湿な気候である。初夏の暑さは度々日本一を記録。特に猛暑連続日数は22日間、猛暑日の年間日数が45日間といういずれも国内最多の記録をもつ。暑くても限界まで挑戦するこの日田人特有のメンタリティが、鉄板の上で焼き上げられたパリパリ食感の麺と想いが重なり、やきそば麺を愛おしく感じるものと考える。

もやし:なぜもやしのシャキシャキ食感にこだわるのか?

日田の清流 日田市内の中央を流れる九州一の大河「筑後川」。この豊かな川の流れを支えるのが、阿蘇外輪山を始めとした数々の山々から湧き出る清らかな清流。この清流は、猛暑の日田にあっても一時の清涼感を与えてくれる。日田やきそばにおける「もやし」の「清涼感」と、清流の「清涼感」が重なり、もやしは、日田やきそばに欠かせない存在になっている。もちろん、この清流を使いもやし製造業が盛んなのは言うまでもない。

ねぎ:なぜ数ある野菜の中で、ねぎが食材として使われているのか?

日田の山林 日田市の四方を囲む山々は、豊かなシオジ原生林の他、大半が江戸時代に始まった植林による杉の林である。日田市民は、幼い頃からこの緑の杉美林を見て豊かな山に感謝して生活している。日田やきそばにおける「緑」のねぎは、杉美林の緑を愛する日田市民の心のオアシスであり、ふるさとである。したがって、同じねぎでも白ねぎは日田やきそばにはあまり好まれない。

豚肉:なぜ鶏文化中心の日田にあって、豚肉が使われているのか?

咸宜園 江戸時代幕府の直轄地であった日田。江戸時代後半には、咸宜園という日本最大の私塾があった。この咸宜園に学ぼうと日本全国から約5000人の門下生が集った。大村益次郎や高野長英といった日本の歴史に影響を与えた人物も輩出している。咸宜園の存在は日田市民に学び続けるDNAとして生き続けている。したがって、学ぶことに必要な「脳や神経」の疲労回復に必要なビタミンB1を多く含む「豚肉」を選定したのは必然である。

ソース:特有の旨味の秘密はどこにあるのか?

日田の醤油醸造所 市内にやきそばを提供する店舗は約20軒。どの店舗も独自のソースが店の特徴の一つである。その特徴の一端を担っているのが「醤油」である。市内には醤油醸造所が多く見られ、各家庭においてもそれぞれお気に入りの銘柄を持っている。
全体に甘みが強い日田の醤油は、日田市民にとっては故郷の味。この醤油が含まれたソースが鉄板の上で焦がされ、豊かな香りをあげるとき、日田の原風景が眼の前に広がるのである。

ラード:なぜサラダ油ではなくラードを使うのか?

三隈川の煌めき 日田市は古くから「水郷(すいきょう)ひた」という愛称で呼ばれ、江戸時代からその街の賑わいとともに、豊かな水に憧れ多くの人が訪れた。日田市民は筑後川を市内の地形に由来した「三隈川(みくまがわ)」と親しみを込めて呼び、花火大会・鮎釣り・屋形船・鵜飼と四季を通じて楽しませてくれる。ラードは、すべての食材を包み込み日田やきそばに魔法をかける。このラードの魔法にかかったひかり輝く日田やきそばを見ると、三隈川の川面の煌めきと重なって見え、その先に川辺の歓声が聞こえるのである。

鉄板:ラーメン店が発祥の日田やきそば。なぜラーメン店に鉄板を置くことになったのか?

豆田の町並み 北部九州の要所であった日田には、江戸はもとより、京都、長崎、鹿児島などから多くの人が訪れた。また咸宜園には日本全国から多くの人が訪れ、地元の文化と多様な文化が融合し、独特の日田文化が育まれた。いつしか、新たなことを受け入れ挑戦する気質が加わり、ラーメン店に本来必要のないはずの鉄板も、やきそばを提供するなら「独自性を出そう」と追求しようとする、先人たちの挑戦魂がやきそばソウルとなって、釜と並んで鉄板を置くことになったと考えられる。

釜:なぜ茹でた麺ではなく、あえて茹で釜をつかって茹でるのか?

天ケ瀬温泉の足湯 大分県は言わずと知れた「おんせん県」。日田市も例外ではなく、1300年の歴史を誇る天ケ瀬温泉を有する。また隣県の熊本県には杖立温泉や黒川温泉、福岡県には原鶴温泉など温泉スポットでもある。旅の要所だった日田に訪れる方が、温泉に浸かって旅の疲れを癒し旅立つ湯治の役割を果たしていたのは言うまでもない。生麺をあえて釜で茹でるのは、これまでの生麺の旅を労い、熱いお湯に浸かって、これから始まる日田やきそばへの長い旅に備えてもらおうと思うおもてなしのあらわれである。